2014年 05月 29日
2014/5/18 野辺山ウルトラマラソン
|
4度目の挑戦。
今までは、1回目は完走出来ず。2回目、3回目は完走出来たが、ともに完走タイムはギリギリで、余裕があったわけではない。完走経験があるからといって、再び簡単に完走させてくれる訳ではないのが、この野辺山ウルトラマラソンだ。
第1の目標は、あくまでも完走すること、とする。
第2の目標として、昨年出したPB13:23"更新を目指す。
2013年野辺山ウルトラマラソンの記録
前泊で現地入り
午後遅目に家を出て、ラン仲間とともに午後遅目にクルマで現地入りした。会場付近の野辺山高原では、時間を潰すものは何もないし、中央道の渋滞回避のためにも、夕方に到着するくらいがちょうどいい。
宿に入ってご飯を食べたら、もう何もやることはない。
21時に就寝。
今回は、3週間前の2度目のUTMF完走が自分の中で自身になっていて、既に身体の疲れは抜けているし、あまりレース前の緊張をすることもなく、ぐっすりと眠ることが出来た。
当日朝 スタート
2時半起床。
5時スタートなので、このくらいに起きなくてはならない。
スタート30分前のレース会場。
5時というと、この時期はちょうどぱーっと一気に明るくなる時刻である。
スタート30分前にはまだ薄暗いし、レース会場では照明灯が焚かれているのだが、スタート時点にはもう明るくなるので、アイウェアのレンズはスモークで十分である。(クリアレンズである必要はない)
今年のスターターは、フィギュアスケートの安藤美姫選手だった。
TVで見るよりも遥かに可愛らしい。
顔が小っちゃい。
以前は、同じくフィギュアスケートの荒川静香選手がスターターを務めていた年もある。
野辺山高原にスケート場があり、フィギュア選手の高地合宿トレーニングによく使われているという縁があるらしい。
スタート時点のウェアリング
上:
ファイントラック 袖なしのフラッドラッシュスキン(メッシュの速乾インナー)
SKINS 長袖
半袖バイク用レーサージャージ
モンベル ウルトラライト(超薄手のウインドブレーカ)
下:
CW-X スタビライクス
左のみ、足首からカカトに、ニューハレXテープを2枚貼り
ケータイを入れるために、小さなウエストポーチを腰に巻く。
スタート直後はゆっくりと
どうしても独特の高揚感に包まれて、みなペースが上がりがち。
慌てずに自分のペースを守ってゆっくり走ることに専心する。
踏切に引っ掛かってしまった。
登り区間では、出来るだけ歩くようにして脚を温存する。
どんどん追い抜かれていくが、ここで慌ててはいけない。
晴れ渡った空
次第にすっかり明るくなってくる。
前方を行く選手が振り向きながらおぉっ!とどよめき、写真を撮っている。
後ろに見えるのは、雪をかぶった八ヶ岳。
振り返れば、綺麗な富士山だ。
野辺山ウルトラのコースは、序盤にダートがある。
大規模農業のための大型トラクタなどが移動するための砂利敷の農道だ。
路面はよく踏み固められているので、トレランシューズは必要なく、普通のランシューで十分だ。
ダート区間を抜けて山間の舗装路へ。
そろそろ気温も上昇し、暑くなってくる。
ウインドブレーカを脱いで、レーサージャージの背中のポケットにしまった。
この後は、ずっとアウターを着る必要はなかったが、他の選手の中には、日没近くに気温が下がってきたら汗冷えで寒かった、と言っている人もいた。
46km地点エイドでトイレ(大)
42km地点 第一関門 八峰の湯は、荷物をデポしていなかったこともあり、立ち寄らずにスルー。
以前は、この頃にはどこかしら身体に違和感が出てきたり、眠気が出てくることもあったのだが、今年は何ともない。
順調だ。
この時点では、余裕でPB更新できるだろうと思っていた。
必要以上に飛ばし過ぎないように注意して淡々と走り続ける。
便意を催し、46km地点エイドでトイレ(大)。
エイドはほぼ5kmごとにあり、仮設トイレが数基ずつ設置されている。
だいたい何人か並んでいることが多いので、多少は時間のロスになる。
初めて食べた、50km地点 第2関門 小海町公民館 蕎麦エイド
ここで、手打ち蕎麦が食べられる。
それなりに行列が出来ているので、今までは、時間が勿体無くてスルーしてしまった。
野辺山初参加の年は(完走できなかった)、既に関門タイムギリギリで、蕎麦打ち職人(蕎麦好きサークルの人達らしい)が後片付けをしていた時もあった。
今年は気持ちに余裕があったので、並んで蕎麦をいただく。
気温はさらに上がり、ますます暑く
腕のSKINSが塩を吹いている。
北相木村役場までの数キロは、ピストンなので、選手は車道を挟んで対面通行となる。
川沿いの緩やかな傾斜の道で、往路はダラダラ登りとなる。
疲れても溜まってきていて、ダラダラ登りはけっこう辛い。
斜度が大きいところは遠慮無く歩くことにするのが正解だ。
59km地点 北相木村役場でシューズ交換
子供用のビニール製プールに水が張ってあり、めいめい水をすくって頭からかぶったり、顔を洗ったりしている。
中には、マナー悪く、直接手をプールに突っ込んでいる人もいるのだが、疲れて頭が回らなくなっているんだろう。
CW-Xの右フクラハギに開いていた小さな穴がどんどん膨らんでしまっていた。
ここだけかなり日焼けしてしまった。
CW-Xは、筋肉の可動部分であるフクラハギが最も早く擦れて生地が薄くなってしまうようだ。
靴を、
アディゼロ CS
↓
アディゼロ MANA
に交換。
靴下も履き替え。
特に深い意味はないのだが、気持ちのリフレッシュメント効果を狙ったものだ。
実は、CSよりもMANAの方がソールが硬いので、交換する順番は逆にすべきだった。
既に足底アーチにはかなり疲れが溜まってきているので、シューズの変化を敏感に感じ取ることが出来る。
いざ馬越峠へ 猛烈な眠気
700mアップの峠。
この野辺山ウルトラで最大の難所と言われている。
しかし、日頃からトレイルを走っている人にとっては、たいしたことはない。
言うならば、たかだか700アップに過ぎない訳だし、しかも斜度はほぼ一定でテクニカルな走りが必要なわけではないし、ずっと歩き続けても全然構わないわけだからね。
馬越峠に取り付く辺りで、Mキちゃんに追い越された。
北相木村役場の地点では僕に20分のアドバンテージがあったのだが、淡々と安定的に走り続けて追い上げてきたようだ。
この頃には猛烈な眠気がやってきていて、たまらなかった。
馬越峠の登りは、僕の前後のタイムの選手はほとんど歩くので、それほどスピードには差が出るわけではない。
僕は、Mキちゃんを勝手にペーサーとさせてもらって、お尻を眺めながらついていくことにした。
しかし、やはり眠くてたまらない。
ふと意識が飛んで、気が付いたら、既にMキちゃんの姿はなく、引き離されてしまっていた。この後、再びレース中に会うことはなかった。
眠い時は眠るに限る。
ケータイのアラームをセットして、道の脇で横になって仮眠。
疲れていて眠くても、気持ちが張っていてなかなか熟睡できるものではないので、アラームに気づかずに寝過ごしてしまう、ということはまずあり得ない。
79km地点 第4関門 馬越峠、実は制限時間ギリギリかも
朦朧としながら峠の頂上へ。
ここで計算してみたら、実は制限時間ギリギリであることに気がついた。
ふと辺りを見回すと、デカフォレスト(レース10回完走者の称号)の緑ナンバカードの姿がほとんど見当たらない。
デカフォレストが周りにいる間は、時間的には余裕であるはずなのだが。
ざっと計算したら、キロ8分で走らないとフィニッシュ出来ない!
休憩もそこそこに、峠の下りは身体を休めることなく、ひたすら走り続けた。
この下りで時間を稼いでおかないと、平均キロ8分なんてかなり厳しい。
87km地点 第5関門でも、ほとんど休憩を取らずに出発。
終盤は基本的には下り基調なのだが、緩やかアップダウンは幾つかある。
脚にはかなり疲れが溜まっているので、ちょっとしたアップでも走れない。
時間を意識しながら、出来るだけ歩かないように、ペースを落とさないように、脚の痛みを忘れて思い出さないように。
エイドで追い抜くときに緑色ナンバカードのデカフォレストの選手が、「制限時間ギリギリだ、今年は完走無理かもしれない」と弱音を吐いている。
同じペースで走っていたらダメだ。
一定のペースを心掛ける。
心折れて歩き出してしまう選手を追い抜くときは、
「ファイト!まだ間に合いますよ!」
と声を掛ける。
僕の一言で気力を取り戻して走り始めてくれると嬉しいが、その人のためというよりも、自分自身に対してエールを送っているのだ。
何とかフィニッシュ
グロス13:'50'56"で何とかフィニッシュ。
制限時間の9分前だった。
やはり、野辺山は簡単にはフィニッシュさせてくれなかった。
左足底アーチは潰れてペッタンコな感じだ。
ロングのレースでは、眠気にやられたり、内臓がおかしくなったりしてしまうことが多く、なかなか脚を使い切れないものだが、今年の野辺山は、脚を使い切ることが出来て、満足だ。
今までは、1回目は完走出来ず。2回目、3回目は完走出来たが、ともに完走タイムはギリギリで、余裕があったわけではない。完走経験があるからといって、再び簡単に完走させてくれる訳ではないのが、この野辺山ウルトラマラソンだ。
第1の目標は、あくまでも完走すること、とする。
第2の目標として、昨年出したPB13:23"更新を目指す。
2013年野辺山ウルトラマラソンの記録
前泊で現地入り
午後遅目に家を出て、ラン仲間とともに午後遅目にクルマで現地入りした。会場付近の野辺山高原では、時間を潰すものは何もないし、中央道の渋滞回避のためにも、夕方に到着するくらいがちょうどいい。
宿に入ってご飯を食べたら、もう何もやることはない。
21時に就寝。
今回は、3週間前の2度目のUTMF完走が自分の中で自身になっていて、既に身体の疲れは抜けているし、あまりレース前の緊張をすることもなく、ぐっすりと眠ることが出来た。
当日朝 スタート
2時半起床。
5時スタートなので、このくらいに起きなくてはならない。
スタート30分前のレース会場。
5時というと、この時期はちょうどぱーっと一気に明るくなる時刻である。
スタート30分前にはまだ薄暗いし、レース会場では照明灯が焚かれているのだが、スタート時点にはもう明るくなるので、アイウェアのレンズはスモークで十分である。(クリアレンズである必要はない)
今年のスターターは、フィギュアスケートの安藤美姫選手だった。
TVで見るよりも遥かに可愛らしい。
顔が小っちゃい。
以前は、同じくフィギュアスケートの荒川静香選手がスターターを務めていた年もある。
野辺山高原にスケート場があり、フィギュア選手の高地合宿トレーニングによく使われているという縁があるらしい。
スタート時点のウェアリング
上:
ファイントラック 袖なしのフラッドラッシュスキン(メッシュの速乾インナー)
SKINS 長袖
半袖バイク用レーサージャージ
モンベル ウルトラライト(超薄手のウインドブレーカ)
下:
CW-X スタビライクス
左のみ、足首からカカトに、ニューハレXテープを2枚貼り
ケータイを入れるために、小さなウエストポーチを腰に巻く。
スタート直後はゆっくりと
どうしても独特の高揚感に包まれて、みなペースが上がりがち。
慌てずに自分のペースを守ってゆっくり走ることに専心する。
踏切に引っ掛かってしまった。
登り区間では、出来るだけ歩くようにして脚を温存する。
どんどん追い抜かれていくが、ここで慌ててはいけない。
晴れ渡った空
次第にすっかり明るくなってくる。
前方を行く選手が振り向きながらおぉっ!とどよめき、写真を撮っている。
後ろに見えるのは、雪をかぶった八ヶ岳。
振り返れば、綺麗な富士山だ。
野辺山ウルトラのコースは、序盤にダートがある。
大規模農業のための大型トラクタなどが移動するための砂利敷の農道だ。
路面はよく踏み固められているので、トレランシューズは必要なく、普通のランシューで十分だ。
ダート区間を抜けて山間の舗装路へ。
そろそろ気温も上昇し、暑くなってくる。
ウインドブレーカを脱いで、レーサージャージの背中のポケットにしまった。
この後は、ずっとアウターを着る必要はなかったが、他の選手の中には、日没近くに気温が下がってきたら汗冷えで寒かった、と言っている人もいた。
46km地点エイドでトイレ(大)
42km地点 第一関門 八峰の湯は、荷物をデポしていなかったこともあり、立ち寄らずにスルー。
以前は、この頃にはどこかしら身体に違和感が出てきたり、眠気が出てくることもあったのだが、今年は何ともない。
順調だ。
この時点では、余裕でPB更新できるだろうと思っていた。
必要以上に飛ばし過ぎないように注意して淡々と走り続ける。
便意を催し、46km地点エイドでトイレ(大)。
エイドはほぼ5kmごとにあり、仮設トイレが数基ずつ設置されている。
だいたい何人か並んでいることが多いので、多少は時間のロスになる。
初めて食べた、50km地点 第2関門 小海町公民館 蕎麦エイド
ここで、手打ち蕎麦が食べられる。
それなりに行列が出来ているので、今までは、時間が勿体無くてスルーしてしまった。
野辺山初参加の年は(完走できなかった)、既に関門タイムギリギリで、蕎麦打ち職人(蕎麦好きサークルの人達らしい)が後片付けをしていた時もあった。
今年は気持ちに余裕があったので、並んで蕎麦をいただく。
気温はさらに上がり、ますます暑く
腕のSKINSが塩を吹いている。
北相木村役場までの数キロは、ピストンなので、選手は車道を挟んで対面通行となる。
川沿いの緩やかな傾斜の道で、往路はダラダラ登りとなる。
疲れても溜まってきていて、ダラダラ登りはけっこう辛い。
斜度が大きいところは遠慮無く歩くことにするのが正解だ。
59km地点 北相木村役場でシューズ交換
子供用のビニール製プールに水が張ってあり、めいめい水をすくって頭からかぶったり、顔を洗ったりしている。
中には、マナー悪く、直接手をプールに突っ込んでいる人もいるのだが、疲れて頭が回らなくなっているんだろう。
CW-Xの右フクラハギに開いていた小さな穴がどんどん膨らんでしまっていた。
ここだけかなり日焼けしてしまった。
CW-Xは、筋肉の可動部分であるフクラハギが最も早く擦れて生地が薄くなってしまうようだ。
靴を、
アディゼロ CS
↓
アディゼロ MANA
に交換。
靴下も履き替え。
特に深い意味はないのだが、気持ちのリフレッシュメント効果を狙ったものだ。
実は、CSよりもMANAの方がソールが硬いので、交換する順番は逆にすべきだった。
既に足底アーチにはかなり疲れが溜まってきているので、シューズの変化を敏感に感じ取ることが出来る。
いざ馬越峠へ 猛烈な眠気
700mアップの峠。
この野辺山ウルトラで最大の難所と言われている。
しかし、日頃からトレイルを走っている人にとっては、たいしたことはない。
言うならば、たかだか700アップに過ぎない訳だし、しかも斜度はほぼ一定でテクニカルな走りが必要なわけではないし、ずっと歩き続けても全然構わないわけだからね。
馬越峠に取り付く辺りで、Mキちゃんに追い越された。
北相木村役場の地点では僕に20分のアドバンテージがあったのだが、淡々と安定的に走り続けて追い上げてきたようだ。
この頃には猛烈な眠気がやってきていて、たまらなかった。
馬越峠の登りは、僕の前後のタイムの選手はほとんど歩くので、それほどスピードには差が出るわけではない。
僕は、Mキちゃんを勝手にペーサーとさせてもらって、お尻を眺めながらついていくことにした。
しかし、やはり眠くてたまらない。
ふと意識が飛んで、気が付いたら、既にMキちゃんの姿はなく、引き離されてしまっていた。この後、再びレース中に会うことはなかった。
眠い時は眠るに限る。
ケータイのアラームをセットして、道の脇で横になって仮眠。
疲れていて眠くても、気持ちが張っていてなかなか熟睡できるものではないので、アラームに気づかずに寝過ごしてしまう、ということはまずあり得ない。
79km地点 第4関門 馬越峠、実は制限時間ギリギリかも
朦朧としながら峠の頂上へ。
ここで計算してみたら、実は制限時間ギリギリであることに気がついた。
ふと辺りを見回すと、デカフォレスト(レース10回完走者の称号)の緑ナンバカードの姿がほとんど見当たらない。
デカフォレストが周りにいる間は、時間的には余裕であるはずなのだが。
ざっと計算したら、キロ8分で走らないとフィニッシュ出来ない!
休憩もそこそこに、峠の下りは身体を休めることなく、ひたすら走り続けた。
この下りで時間を稼いでおかないと、平均キロ8分なんてかなり厳しい。
87km地点 第5関門でも、ほとんど休憩を取らずに出発。
終盤は基本的には下り基調なのだが、緩やかアップダウンは幾つかある。
脚にはかなり疲れが溜まっているので、ちょっとしたアップでも走れない。
時間を意識しながら、出来るだけ歩かないように、ペースを落とさないように、脚の痛みを忘れて思い出さないように。
エイドで追い抜くときに緑色ナンバカードのデカフォレストの選手が、「制限時間ギリギリだ、今年は完走無理かもしれない」と弱音を吐いている。
同じペースで走っていたらダメだ。
一定のペースを心掛ける。
心折れて歩き出してしまう選手を追い抜くときは、
「ファイト!まだ間に合いますよ!」
と声を掛ける。
僕の一言で気力を取り戻して走り始めてくれると嬉しいが、その人のためというよりも、自分自身に対してエールを送っているのだ。
何とかフィニッシュ
グロス13:'50'56"で何とかフィニッシュ。
制限時間の9分前だった。
やはり、野辺山は簡単にはフィニッシュさせてくれなかった。
左足底アーチは潰れてペッタンコな感じだ。
ロングのレースでは、眠気にやられたり、内臓がおかしくなったりしてしまうことが多く、なかなか脚を使い切れないものだが、今年の野辺山は、脚を使い切ることが出来て、満足だ。
by hoya
| 2014-05-29 21:36
| レース